本当にあった怖いってほどでもないし、人に話すような事でもないけど暇だからする義村(偽名)の話(一)

「わいどんなんばしよっとね?」

道を歩いていると、目の前の百姓ハウスの庭から鎌を持った爺がヨタヨタとやって来て、ムッとこちらをいくらか警戒するような表情で尋ねた。
「義村っての、この辺におらんですか」
この一言により鎌爺は、ムッとした表情のまま鎌を落とし、プレーンな爺になった。長い沈黙の後、プレーン爺はむにゃ、と口を開いた。カサカサの上唇と下唇が、唾液を引っ張っている。よっそわーし。
「…よかけん、帰らんね。義村さんは……いや、なんもなか」
そう言ってプレーン爺は落とした鎌を拾い、再び鎌爺となり、ええい、ややこしい。くそ爺は、家の中へとヨタヨタと去って行った。
まだこの町に住んでて、会えたらラッキー、くらいの軽い気持ちで義村の元を訪ねようとしていた僕達は、何か奇妙な事に巻き込まれてしまったような、そんな感覚に陥った。
「…どがんしよかね」
八十谷が煙草に火を点けながらボソリ、と呟いた。
「どがんしようも何も…」
僕は、そう言いながらポケットから煙草を取り出しつつ、西日の差す方角、湯野木の山々を眺めた。鳥の群れが、気持ち良さそうに飛んでいる。

その光景を掻き消すかのように、八十谷の吐いた煙が宙に舞った。
事の発端は、一週間前に遡る。

 

 

( 一、佐世保独楽の回転が想起させる義村のこと)

ある日、ふと何故か、佐世保独楽のことが気になって気になって仕方が無くなり、メシも食えず、夜も眠れず、小便のキレも…ということは無かったが、なんとなし気になってwikipediaで調べると「相手の独楽を傷付け、割ることも醍醐味のひとつである」との一文があった。これにより、かつての友人、芯はあるが、表面がほんの少し狂っている男、義村(よしむら)が激闘の末、相手の独楽を破壊し、ニタニタ笑いながら「ウヒヒィーッ!ヤッタァー!」と、高音で奇声を上げる光景を思い浮かべてしまい、つい、笑ってしまった。
彼はいま何をしているのだろうか?定期的に思い出したかのように湧き出るこの疑問は、いつもすぐに埋もれては、また顔を覗かせるのだ。

 

義村とは、成人し、東京から帰郷した後、共通の友人である八十谷(やそや)の紹介で知り合った。

義村は、小太りで、髭面で、頭頂部が禿げかけていて、よくニタア、と笑う男だった。


こいつとは自動車学校も同じになり、当然、そこそこに仲が良くなった。音楽の趣味も合い、よく永酒町にあった義村の家で互いの好みのハードロックやネオアコなどクソ音楽の擦り付け合いや、楽器セッション()をする為にバスに揺られて向かったものだ。何故か義村宅にはスタジオや小さいライブハウスにあるレベルのデカいアンプ(マーシャルとローランドだったか?)と、義村の父親が○○して(ここでは言えない)手に入れた数本のギターがあって、夜中に大音量で六弦を掻き鳴らし、近所の兄ちゃんが窓をコツコツと叩き「静かにせんね」とやって来た事もあったか。

 

とまあ、一、二年ほどだけの付き合いで、そう多くは語れるものも無い。「湯野木に引っ越す事になった」と聞いた辺りだったか、良く覚えていないが、疎遠になった。というか、連絡先がいつの間にか消失していて、連絡の取りようも無かったのだ。疎遠というよりも絶縁。機種変更の際にでもどこかの側溝やら肥溜めにでも落としたんだろう、多分。それから義村の姿は五年ほど見ていない。

 

前述した通り、たった一、二年ほどの付き合いだったが、今何をしているだろうか、と夢想するほどには、義村は魅力のあるクソ人間だった。

ある日、思い立った僕、触々田(さわさわだ)は、八十谷に「来週の日曜にでん、義村ば探しに行かんや」と電話を入れたのであった。