怠惰の根底にあるもの

「怠惰の根底にあるもの」なんて仰々しいタイトルが踊っておりますけども、これは所謂、体裁そして見栄と自己顕示欲によるもので、つまり今回は幼少の頃を振り返り現在の私を形成したもの、怠惰の権化の作り方を追ってみようではないかというのもこれまた体裁で、体裁だらけなんだけどつまり子供の頃の話でもしようかと思います。今から。

まず幼稚園に通っていた頃。未だ世の汚れを知らぬ純粋無垢な子供で、両親は「この子には明るい未来が待っているに違いない!」と思っていたのかは知らないが、間違っても「今日も悪魔の毒々モンスターを鑑賞だあ、うひひ」なんて事は言っていなかった。

遊ぶ事ばかり考え、危険を顧みずに走り回っていたように思う。毎日が光り輝いていた。70年代イギリスグラムロックの重鎮モットザフープルの一曲にロックンロール黄金時代(要チェック)というものがあるが、まさにあの通りである。一挙一投足にブラスが鳴り響き、時には血濡れになったり(下記)もしたが結局はネバーダイだったと言っても例の曲を知らない人は訳が分からないだろうけど、とにかく黄金だったのだ。うひひ。

記:躓き顔面強打、多量出血。転んで額を強打、大量出血。頭を擦り剥き、顔面血塗れ。強く頭を打ち、出血。階段から転げ、頭部強打。この他にも幾度となく脳に近い部位を痛めた事が現在にどのような影響を及ぼしているのかは不明だが、頭を打った途端に馬鹿になったとかそういう話は聞いてないので元々馬鹿だったのだろう。安心。

さて、この黄金時代を振り返るに当たって忘れてはいけない人物がいる。それはYだ。Yは同級生で、なんと同じアパートに住んでいたのだ。当然一緒に遊ぶ事も多くなるよね。二人してよく分からん若い姉ちゃんに着いて行ったり、虫を捕まえたり、ゲームをしたりしていた。一番印象に残っているのはYの家にある赤いジャングルジムで、これには毎度必ず潜り込んでいた。潜る、この行為だけで楽しめたのはやはり子供だったからだと考える。今ならばしかめっ面で潜り込み、俳句でも詠まないと楽しめないだろう。

というわけで、この続きはまた今度。もう一生しないかもしれんけど。