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愛こそすべて
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市場原理主義vsデブ
The Who
幼少時代のあなたにとって、ヒーロー(創作物中の)とは誰だっただろうか。ウルトラシリーズか戦隊シリーズか仮面ライダーシリーズか、米国コミックの連中か。これら現在でもフアンが多いものの他にも賃金と休日を貰わねば数えていられない程、様々な特徴を持ったヒーロー達が世には存在している。口から火を吐く奴もあれば、腕から得体の知れない光線などを出しやがって敵を爆破する奴もあるし、恩賜煙草を吸った後に「ヤアーッ!」と叫び割腹自殺する奴もいる。そんな中、僕が当時夢中になったヒーローは、35年の歴史を誇るスーパー戦隊シリーズに名を連ねる五星戦隊ダイレンジャーだ。
そもそもスーパー戦隊シリーズというのは、35年前に放映されたゴレンジャーを始まりとし、数名の男女が色分けされた見るも無残なマスクとスーツで武装したヒーローに変身、悪の組織に属する怪人とチャンバラや銃撃戦を繰り広げる哀愁活劇である。
ダイレンジャーはこのシリーズの十七作目で、1993年の2月から翌年の2月まで放映された。いわば2月革命なのだ。これにより1991年に消滅したはずのソビエト連邦が再結成。する筈もなく、ただ子ども達が喜んだだけである。万国の子供達よ、団結せよ!とここまで書いていて気付いたのだけれど、「五星戦隊ダイレンジャー」なのである。奴ら言われてみれば拳法やら矛やら何もかもが中華で子どもの頃は気付きもしなかったが、中国の国旗には五つの星、そして大連という都市が存在する。奴らが中国共産党の回し者で、社会主義の名の下に戦っていたのを俺は楽しんで観ていたのかと思うと腹が立ってきた。腹が立ってきたよねうん。
それに主題歌を任されていた歌手の名前、これには皆さんも腹が立つに違いない。「NEW JACK拓郎」である。もう一度言おう。「NEW JACK拓郎」である。こんな珍妙滑稽な名の歌手が名誉あるスーパー戦隊シリーズの主題歌を我が物とし、いくら儲けたのかは知らないが金を手にしているのだ。許すまじ、NEW JACK拓郎。もうこのNEW JACK拓郎はどうでも良い。いや、どうでも良いわけがなく更にNEW JACK拓郎並びにダイレンジャーに対する怒りが湧いて来た。何もウルトラマンが一番好きだった事を思い出して書き直そうかと思ったけど消すのも勿体無いのでいちゃもんつけて話をすり替えようなんてそんな事は無くてでもやっぱりウルトラマンが一等好みであって腕から得体の知れない光線を出しやがって敵を爆破する奴と最初に言ったけどそれには愛が含まれていてやっぱりこの世界に一番必要なのは愛だよ愛。わたしはウルトラマンを愛しています。
というわけでウルトラマンなのである。ウルトラシリーズはスーパー戦隊シリーズよりも十年長い歴史がある。つまり、45年だ。ビートルズが武道館公演を果たした1966年にウルトラシリーズ第一作目、ウルトラマンが始まったのだ。当然リアルタイムで観てあったわけではない。一体どこから入手したのか「ウルトラマン名勝負集」なるビデオが我が家にあって、それを観ていたのだ。とここまで書いていてふと思ったのだけれど、確かにウルトラマンは子供の頃好きだったはずだ。しかしその度合までは覚えていない。もしかすると憧れていたと言う程夢中にはなっていないかもしれん。とすると一体僕にとってのヒーローは誰だったのだろう。思い出せない。どうしても思い出せない。もうこの際NEW JACK拓郎でいいや。僕が子供の頃憧れていたヒーローはNEW JACK拓郎でした。ああ眠たい。
あんた信じ難いよ、ほんま。
疑い癖があって、これは困りごとである。例えば他の人が私に善き事をするならば、取り入って何をするつもりだ、欺瞞だと裁定し、他人など信じられぬのだ。
これは困りごとである。どういう風に困るかというと、外出時に自宅が燃え、大家なり近所の連中が「さささ澤田さん家が燃えてますよ!」と電話を掛けてくるのだ。そこで疑い癖のある私は「なんだ、つまらない冗談は止して下さいよ。ではでは」とか何とか云って電話を切る。そしてそのまま居酒屋やバーやスナックに行き、こんな事があったんだよとグラス片手にへらへらし、次第に良い心地になって家に帰って寝ようとすると、無いのだ。家が。すっかり酩酎している私はわははと笑い、大家なり近所の連中に「家が無いんですけども、どこに隠したのかな~?」と連絡を取る。すると、一体どこへ行ってたんだ、あほじゃないか、屑じゃないかと罵倒され、我が親友のPC、会社の書類は灰になり、というか家そのものがなく、路頭に迷うのである。
この他にも、電気代を払え。さもないと止めるといった旨の通達が来たとする。これも疑い、どうせ嘘だろと無視し、そのまま居酒屋やバーやスナックに行き、こんな事があったんだよとグラス片手にへらへらし、次第に良い心地になって家に帰って電気を点けようとすると、点かないのだ。電気が。すっかり酩酎している私はわははと笑い、電力会社に電気が点かないんだけど、と連絡を取る。すると、電気が欲しけりゃ金を払え、まぬけ。ちんどん屋などと罵倒され、パソコンも使えず、こんなとこにはおれんと路頭に迷うのである。
これらは序の口で、他にも酷いのが思い付いたが、段々嫌気が差して来たのでこの位にしておく。それなりには他人を信じたいものだ。